教育機会確保法に基づく政策の展開と多様な学びの場の位置づけ:現状、課題、展望
はじめに
近年の日本社会において、学校に登校しない、あるいは登校できない児童生徒、いわゆる不登校児童生徒の数は増加傾向にあり、多様な教育ニーズへの対応が喫緊の課題となっています。このような背景の下、2016年には「義務教育の段階における普通教育に相当する教育の機会の確保等に関する法律」(以下、「教育機会確保法」)が成立し、2017年2月に施行されました。
本稿では、この教育機会確保法に基づく国の政策展開に焦点を当て、学校以外の場での学びを含めた多様な教育機会の確保に向けた取り組みの現状、関連する主要な論点、そして今後の展望について、関連資料を参照しながら解説します。本法は、不登校の子どもたちを含む、様々な事情により学校における教育を受けることが困難な状況にある子どもたちに対し、適切な教育の機会を確保するための国の責務等を定めたものであり、その政策動向を追跡することは、教育制度や子ども支援に関わる専門家にとって極めて重要であると考えられます。
教育機会確保法の背景と立法経緯
教育機会確保法が制定される以前から、不登校児童生徒への対応としては、学校における教育相談や支援、あるいは教育支援センター(適応指導教室)の活用などが進められてきました。しかしながら、学校に継続的に通うことが困難な子どもたちにとって、これらの既存の枠組みだけでは十分な教育機会が提供されているとは言えない状況がありました。また、フリースクールやオルタナティブスクールといった、学校以外の多様な学びの場が存在し、一定の教育的役割を果たしていましたが、これらの場に対する公的な位置づけや支援は限定的でした。
不登校児童生徒数の継続的な増加という社会状況を受け、教育における多様性と包容性の必要性が広く認識されるようになりました。このような中、超党派の国会議員による議員立法として、教育機会確保法案が提出されました。本法は、学校以外の場での多様な学習活動を支援すること、夜間中学校の設置・充実を図ること、不登校特例校の設置を促進することなどを通じて、義務教育段階の子どもたちが個々の状況に応じた教育を受けられる機会を確保することを目的としています。
法制定に先立つ議論としては、文部科学省において「教育機会確保に関する検討会」が開催され、学校に在籍しながら学校以外の場所で学習する場合の取り扱いや、フリースクール等の民間施設との連携・支援のあり方などが検討されました。この検討会での議論や報告書(例:「教育機会確保に関する検討会」報告書、平成28年2月)が、法案の内容に大きな影響を与えました。
法の主な内容と政策展開
教育機会確保法の主要な内容は以下の通りです。
- 基本理念(第2条): 国及び地方公共団体の責務として、義務教育の段階における普通教育に相当する教育を受ける機会を確保することを明記しています。また、不登校の子どもたちの休養の必要性を認識し、学校における手厚い支援とともに、学校以外の場における多様な学習活動を行う機会を確保することの重要性を謳っています。
- 夜間中学校の設置・充実(第6条): 義務教育を修了できなかった人々や、不登校等により十分に教育を受けられなかった人々に対し、夜間中学校やそれに準ずる教育機会の設置・充実を図ることを規定しています。
- 不登校特例校の設置促進(第7条): 不登校児童生徒の実態を踏まえた特別の教育課程を編成・実施する学校(不登校特例校)の設置を促進することを規定しています。
- 学校以外の場での学習活動への支援(第8条): 学校以外の場所において行われる多様な学習活動の重要性を踏まえ、その活動を行う団体との連携協力や、個々の不登校児童生徒の状況に応じた支援(訪問による学習支援等)を行うことを規定しています。
これらの規定に基づき、国(文部科学省)は様々な政策を展開しています。例えば、夜間中学校については、設置自治体に対する財政的支援や、設置希望自治体への情報提供・助言等が行われています。不登校特例校についても、設置に係る手続きの円滑化や、実践事例の収集・提供が進められています。
特に学校以外の場での学習活動への支援に関しては、地方公共団体に対し、フリースクール等の民間の団体と連携し、不登校児童生徒の状況を把握し、個々のニーズに応じた支援につなげるための体制整備を促しています。具体的には、「不登校児童生徒への多様な学びを支援するパッケージ」などが示され、各自治体での取り組みを後押ししています。また、文部科学省は、フリースクール等の質の向上や情報提供のため、「フリースクール等に関する検討会議」等を開催し、その成果を公表しています。
政策の影響と主要な論点
教育機会確保法の施行とそれに伴う政策展開は、不登校の子どもたちを取り巻く状況に一定の影響を与えています。
肯定的な側面としては、学校以外の場での学びが公的に認知されたことにより、フリースクール等の社会的意義が改めて確認され、自治体によってはこれらの団体への支援や連携が進む事例が見られるようになりました。不登校特例校や夜間中学校の数も増加傾向にあり、多様な学びの選択肢が拡がっていると言えます。
しかしながら、いくつかの主要な論点や課題も存在します。
- フリースクール等の位置づけと支援: 法は学校以外の場での学習活動を「支援」するとしていますが、これらの場が「学校」と同等とみなされるわけではありません。義務教育段階の子どもがフリースクール等に通う場合、原則として学校に在籍し続ける必要があり、出席扱いの判断は学校長に委ねられています。また、フリースクール等に対する公的な財政支援は限定的であり、多くの場合、保護者の経済的負担が大きくなっています。これにより、経済状況によって受けられる教育機会に格差が生じる可能性が指摘されています。フリースクール等を「教育施設」としてどのように位置づけ、どのように公的支援を行うべきか、あるいは質の確保・評価をどう行うべきかといった議論が続いています。
- 学校との連携: 法は学校と学校以外の場との連携を求めていますが、実際の連携状況は地域や学校によって大きく異なっています。情報共有の壁、互いの理解不足などが連携を阻む要因となることもあります。
- 自治体間の格差: 教育機会確保法は国および地方公共団体の責務を定めていますが、具体的な取り組みは各自治体に委ねられています。このため、自治体によって不登校対策や多様な学びへの支援の充実度に差が生じており、居住地によって受けられるサービスが異なるという課題があります。
- 支援の方向性: 法は「学校における手厚い支援」と「学校以外の場における多様な学習活動を行う機会の確保」の両方を掲げていますが、依然として学校復帰を前提とした支援が中心となっているのではないか、多様な学びそのものを目的とする子どもや保護者のニーズに十分応えられていないのではないか、といった議論も存在します。
展望とまとめ
教育機会確保法の施行により、不登校の子どもたちに対する教育機会の確保に向けた法的な基盤は整備されました。しかし、不登校児童生徒数は高止まり、あるいは増加傾向が続いており、法の理念を実質化するためには、今後の政策展開がより重要になります。
今後の展望としては、以下の点が課題として挙げられます。
- フリースクール等への経済的支援を含めた、実効性のある支援策の拡充。
- 多様な学びの場の質の確保と情報提供の推進。
- 学校と学校以外の場、そして福祉や医療等の関連機関との連携強化。
- 自治体間の格差是正に向けた国の役割の見直し。
- 不登校や多様な学びを選択する子どもや保護者自身の声を聞き、政策や支援に反映させるプロセス。
これらの課題に対し、国や地方公共団体、そして学校や民間の支援団体がどのように連携し、具体的な施策を推進していくかが問われています。不登校を「問題行動」としてではなく、「多様な学びの選択肢の一つ」として捉え、全ての子どもたちがそれぞれのペースで安心して学び続けられる環境を整備することが、教育機会確保法の目指す方向性であり、今後の政策課題の核心となるでしょう。
本法に基づく政策動向については、引き続き文部科学省の発表資料(例:不登校に関する調査研究協力者会議の議事録や報告書、関連予算の説明資料など)や、各自治体の取り組み事例を注視していく必要があります。