成年後見制度の利用促進に関する国の施策と法制度の課題:背景、議論の論点、今後の展望
導入
我が国では高齢化が急速に進展しており、これに伴い認知症高齢者の増加が見込まれています。また、知的障害や精神障害を持つ方々も含め、判断能力に不安のある方々の権利擁護と財産管理は、喫緊の社会課題となっています。このような状況下で、成年後見制度は重要な役割を担う制度ですが、その利用は社会的なニーズに比べて十分とは言えない状況でした。こうした背景から、成年後見制度の利用を促進し、権利擁護支援をより強化することを目的に、「成年後見制度の利用の促進に関する法律」(以下、「利用促進法」という。)が平成28年4月に施行されました。
本稿では、利用促進法に基づく国の施策の現状を概観しつつ、成年後見制度が抱える法制度上および運用上の課題、そして今後の議論の方向性について、関連する政策動向や公的資料を参照しながら解説します。
背景:利用促進法制定の経緯と既存制度の課題
成年後見制度は、判断能力が不十分な方を保護し支援するための制度であり、大きく分けて法定後見制度と任意後見制度があります。法定後見制度は、家庭裁判所が後見人等を選任し、本人の財産管理や身上保護を行うもので、後見、保佐、補助の三類型があります。任意後見制度は、本人が判断能力があるうちに、将来後見人となる者(任意後見人)と後見事務の内容を契約(任意後見契約)で定め、判断能力が不十分になった後に任意後見監督人の監督のもと、契約内容に従って任意後見人が後見事務を行うものです。
しかし、これらの制度はその重要性にも関わらず、以下のような課題が指摘されていました。
- 利用件数の伸び悩み: 必要とされる人々に比べて、制度の利用が伸び悩んでいました。
- 制度の認知度不足: 国民への制度の周知が十分に進んでいませんでした。
- 申立手続きの負担: 制度の利用開始に必要な家庭裁判所への申立手続きが複雑で負担が大きいという声がありました。
- 後見人等の担い手不足と偏り: 弁護士、司法書士、社会福祉士といった専門職が後見人の多くを占め、親族や地域住民による市民後見人の育成・確保が課題となっていました。
- 後見人等による不正: 一部の後見人等による財産使い込みなどの不正事案が発生し、制度への信頼性が揺らぐ事態が生じていました。
- 身上保護の実質化の課題: 財産管理に比べて、医療や介護など本人の生活や福祉に関する身上保護が十分に行われていないという指摘がありました。
- 地域における連携体制の不足: 後見人等、関係機関、専門職が連携して本人を支える地域ネットワークの構築が遅れていました。
これらの課題に対応するため、政府は平成25年に「成年後見制度の利用の促進に関する検討会」を設置し、集中的な議論を行いました。この検討会の報告書を受け、利用促進法が国会で成立したものです。
詳細解説:利用促進法の概要と国の施策
利用促進法は、成年後見制度が個人の尊厳を保持するためのものであるという基本理念を定め、国および地方公共団体が制度の利用促進のために取り組むべき事項を明らかにしました。
- 法律の目的: 成年後見制度の利用を促進するための施策に関し、基本理念を定め、国の責務等を明らかにすることにより、これらの施策を総合的に推進することを目的としています(利用促進法第1条)。
- 基本理念: 成年後見制度の利用の促進は、個人の尊厳が重んぜられ、自己決定の支援が図られるとともに、本人の意思決定を支援する者(後見人等)が不正行為を行うことのないように本人の財産その他の権利が保護され、本人が地域社会において安心して自立した生活を営むことができるよう行われるものとすると定めています(利用促進法第3条)。
- 国の責務: 成年後見制度の利用の促進に関する施策を策定し、実施する責務を有するとともに、成年後見制度の利用の促進に関する施策を総合的に推進するための基本的な計画(以下、「基本計画」という。)を定めるものとしています(利用促進法第4条)。
- 地方公共団体の努力義務: 国との適切な役割分担を踏まえて、当該地域の成年後見制度の利用の促進に関する施策を策定し、実施するよう努めるものと定めています(利用促進法第5条)。
この法律に基づき、政府は「成年後見制度利用促進基本計画」を策定し、具体的な施策を展開しています。現在、第2期基本計画(令和4年度~令和8年度)が進行中です。
第2期基本計画における主な施策の方向性は以下の通りです。
- 制度の周知・広報の強化: 国民への認知度向上に向けた多角的な啓発活動。
- 相談体制の整備: 地域包括支援センターや市区町村の窓口等における相談支援体制の強化。
- 後見人等の確保・育成: 市民後見人の育成研修の実施、専門職後見人との連携強化、法人の後見業務への参画促進。
- 後見人等に対する支援: 後見人等の活動を支援する中核機関の整備促進、情報提供や研修機会の提供。
- 後見人等による不正行為防止対策: 家庭裁判所による監督の強化、第三者によるチェック機能の強化、後見人支援機関との連携強化。
- 本人意思尊重・身上保護の実質化: 本人の意思決定支援のあり方に関する検討、医療同意等の身上保護事務の範囲に関する議論。
- 地域連携ネットワークの構築: 市町村を主体とした地域における権利擁護支援の連携体制構築。
これらの施策は、「成年後見制度利用促進専門家会議」などにおいて、様々な分野の専門家や関係者の意見を聴取しながら具体化されています。専門家会議の議事録や配布資料は、裁判所や法務省等のウェブサイトで公開されており、詳細な議論の経緯を確認することができます。例えば、令和5年度に行われた専門家会議では、市民後見人の活動支援のあり方、市区町村における成年後見制度利用促進の取り組み状況、成年後見制度の見直しに関する有識者会議の議論の進捗状況などが報告・議論されています。
影響と論点:施策の評価と課題
利用促進法に基づく施策の推進により、成年後見制度の利用件数は緩やかに増加傾向にありますが、依然として潜在的なニーズに対しては十分ではないとの指摘があります。また、以下のような論点が現在も活発に議論されています。
- 市民後見人の質と量の確保: 市民後見人は地域における権利擁護の担い手として期待されていますが、育成や活動支援にはコストがかかり、その活動に対する報酬や責任の明確化が課題となっています。また、不正リスクへの懸念から、監督体制の強化が求められています。
- 中核機関の役割と機能: 市町村等が主体となって設置される中核機関は、成年後見制度の利用相談、市民後見人の支援、関係機関との連携調整など多岐にわたる機能を担うことが期待されていますが、その設置状況には地域差があり、体制整備と機能強化が急務です。
- 後見人等による不正防止: 不正事案の発生は制度への信頼を損なう重大な問題であり、家庭裁判所による監督強化だけでなく、地域における見守り体制や、不正を発見した場合の通報・相談窓口の周知徹底が必要です。
- 身上保護のあり方: 医療行為への同意や施設入退所に関する同意など、本人の生命・身体に関わる重要な意思決定について、後見人等がどこまで関与できるか、本人の意思をどのように確認・尊重するかといった議論は続いています。
- 制度利用の経済的負担: 申立費用や後見人等への報酬が制度利用のハードルとなっている側面があり、費用助成の拡充や、本人の資力に応じた報酬設定のあり方などが議論されています。
- 成年後見制度全体の抜本的見直し: 利用促進法の枠組みを超え、法定後見制度の仕組みそのものを見直す必要性も指摘されています。例えば、本人意思決定支援をより前面に出した新しい制度設計や、後見類型そのものの見直しなどが、「成年後見制度の見直しに関する有識者会議」で検討されています。この有識者会議は、現行の法定後見制度が硬直的であること、本人の意思よりも保護の必要性が優先されがちであることなどの批判に応える形で設置されており、任意後見制度の拡充や、海外の制度(例えば、サポート付き意思決定(Supported Decision-Making)など)を参考にした議論が進められています。
これらの論点に対し、法務省、厚生労働省、最高裁判所などが連携し、法改正の検討や新たな運用指針の策定などが行われています。
展望とまとめ
成年後見制度は、今後ますます増加する判断能力に不安のある人々の権利を守り、地域社会での尊厳ある生活を支えるために不可欠な制度です。利用促進法に基づき、制度の周知、相談体制の整備、後見人等の確保育成といった施策が進められていますが、市民後見人の質の確保、中核機関の機能強化、不正防止対策、そして本人意思尊重や身上保護の実質化といった課題は引き続き取り組む必要があります。
また、現在進行中の成年後見制度全体の抜本的な見直しに向けた議論は、将来の成年後見制度のあり方を決定づける重要なものです。本人の意思決定支援をいかに制度の中心に据えるか、多様なニーズに対応できる柔軟な仕組みをどう構築するか、といった点が今後の焦点となるでしょう。関連する法改正の動向や、有識者会議等の報告書には引き続き注目していく必要があります。これらの動向は、研究者や実務家にとって、我が国の権利擁護支援の今後の方向性を理解する上で不可欠な情報といえます。
成年後見制度を取り巻く状況は常に変化しており、最新の法改正や政策動向を継続的に追跡することが、判断能力に不安のある方々の権利擁護と、より良い地域社会の実現に貢献するために重要であると考えられます。