手話言語法の制定を巡る政策動向:国会審議、自治体の動き、主要論点、今後の展望
はじめに
近年、日本において手話を一つの独立した言語として捉え、その使用を保障・促進するための法制度を求める動きが活発化しています。これは、聴覚障害のある人々、特に手話を使用する人々(以下、手話使用者)の社会参加や情報アクセスにおける障壁を解消し、言語権を保障するための重要な取り組みとして注目されています。本記事では、手話言語法の制定を巡る最新の政策動向、国会や自治体での議論、主要な論点、そして今後の展望について詳細に解説します。
手話を巡る認識の変遷と法制化の背景
手話が単なる身振りではなく、独自の文法体系を持つ一つの言語であるという認識は、国際的に広まっています。特に、2006年に国連で採択された「障害者の権利に関する条約」(日本は2014年批准)の第21条では、聴覚障害者を含む障害者が情報及び意思疎通の手段を選択・利用することを促進する措置を講じること、第24条では障害者の教育において手話の使用を促進すること、第30条では文化的な生活への参加において手話の利用を促進することなどが明記されており、手話が言語として位置づけられています。
日本においても、この国際的な流れを受け、手話を言語として位置づける動きが加速しました。これまで、手話は「聞こえない人のコミュニケーション手段」として捉えられることが多く、情報保障の主な手段は字幕や要約筆記に限られる傾向がありました。しかし、手話は手話使用者の母語であり、思考や学習の基盤となる重要な言語です。この言語を使用する権利が十分に保障されていない現状は、教育、雇用、医療、司法、行政サービスなど、社会生活のあらゆる場面で手話使用者の権利を制約してきました。
こうした背景から、手話使用者の言語権を保障し、手話を尊重する社会を実現するためには、手話を言語として法的に位置づけ、その普及と環境整備を国及び地方公共団体の責務とする法律の制定が必要であるとの声が高まっています。
自治体の条例制定と国会での動き
手話を言語として認める法制化の動きは、まず地方自治体から始まりました。2010年に鳥取県が全国で初めて手話を言語として位置づける「鳥取県手話言語条例」を制定して以来、全国各地の自治体で同様の条例が制定されています。これらの条例は、手話が言語であることの確認、手話の普及と環境整備に関する基本理念、県民・事業者の努力義務、そして県や市町村の責務などを定めています。2024年現在、多くの都道府県や市区町村で手話言語条例が制定されており、手話に対する社会的な認識を高める上で大きな役割を果たしています。
こうした地方の動きを受け、国会においても手話言語法の制定に向けた議論が進められています。超党派の国会議員連盟などが中心となり、手話を言語として法律に明確に位置づけ、国や地方公共団体に手話の普及・促進及び手話を使用しやすい環境整備のための施策を講じる責務を課すことを内容とする議員立法の検討が行われています。国会審議においても、手話通訳者を介した質疑や、手話言語法制定の必要性に関する質問などが重ねられており、政府側も手話の普及促進の重要性について認識を示しています。
具体的な法案の提出には至っていませんが、障害者基本法の一部改正(2011年)により、手話が言語であることが法律上明記されたことは、手話言語法制定に向けた重要な一歩でした。しかし、障害者基本法における位置づけはあくまで理念的なものであり、具体的な施策推進のための根拠法としては不十分であるとの指摘があります。このため、「手話言語法」(仮称)として、より実効性のある新たな法律の制定を目指す動きが中心となっています。
主要な政策提言と論点
手話言語法の制定に向けた政策提言は、手話関係団体、聴覚障害者団体、専門家などから様々な形で行われています。主な提言内容は以下の通りです。
- 法の基本理念: 手話を言語として尊重し、手話使用者の言語権を保障すること、手話が日本社会の多様な言語の一つであることなどを明記すること。
- 国及び地方公共団体の責務: 手話の普及啓発、手話通訳者や要約筆記者の養成・確保、教育・医療・司法・行政等での手話による情報アクセシビリティの向上、手話に関する調査研究の推進などを、国及び地方公共団体の責務として明確に定めること。
- 手話通訳者等の専門性向上と身分保障: 手話通訳士等の国家資格化や、専門性の向上、安定した処遇の確保。
- 教育における手話: ろう児・難聴児が手話で学ぶ機会の保障、手話による早期教育・バイリンガル教育の推進。
- 情報提供とコミュニケーション: 公共放送等における手話通訳付き番組の拡充、緊急情報の手話による提供。
これらの提言を踏まえ、法制定を巡る主要な論点としては以下が挙げられます。
- 法の根拠と位置づけ: 障害者基本法の理念を具体化する法律として位置づけるのか、あるいは新たな独立した言語基本法のような位置づけとするのか。
- 定義の範囲: 「手話」の定義をどのように定めるのか(例:日本手話、対応手話など)。
- 責務規定の実効性: 国や自治体の「責務」規定が、具体的な施策の実施にどの程度拘束力を持つのか。財源確保の見通しを含めた実効性の担保。
- 義務規定の範囲: どのような分野(教育、医療、行政など)で、どのような内容(手話通訳者の配置、手話による情報提供など)について義務規定を設けるのか、あるいは努力義務に留めるのか。
- 手話通訳者等の養成・確保: 法制定により手話通訳等の需要増が見込まれる中、質の高い通訳者をどのように養成し、安定的に確保していくのか。
これらの論点については、国会での審議や関係者間の協議において、引き続き深く議論される必要があります。
今後の展望とまとめ
手話言語法の制定は、手話使用者の権利保障を推進し、社会全体の手話に対する理解を深める上で極めて重要な意義を持ちます。地方自治体における条例制定の広がりは、国レベルでの法制化を後押しする力となっています。
今後の展望としては、国会において議員立法による法案提出が目指されることが予想されます。法案の内容については、上記の論点を踏まえ、関係者間の合意形成を図りながら具体化が進められるでしょう。法制定が実現すれば、手話が言語として正式に位置づけられ、国や自治体による手話に関する施策がより計画的かつ体系的に推進されることが期待されます。これにより、手話使用者が社会のあらゆる場面で円滑なコミュニケーションを図り、自身の能力を十分に発揮できる環境の整備が進むと考えられます。
ただし、法の制定はあくまで出発点であり、その実効性を確保するためには、十分な予算措置、人材育成、社会全体の意識改革など、継続的な取り組みが必要です。今後の国会審議や政策決定プロセスにおいて、これらの点についてどのような議論が行われ、法にどのように反映されていくか、引き続き注視していく必要があります。本サイトでは、手話言語法制定に向けた今後の動向についても、信頼性の高い情報を基に追跡してまいります。
参照情報等
- 障害者の権利に関する条約
- 障害者基本法
- 各地方自治体の手話言語条例(例:鳥取県手話言語条例)
- 国会会議録(関連する委員会の議事録等)
- 全国手話言語市区長会、全日本ろうあ連盟等の提言資料